Wikiversity に掲載されている 中國食人史 を英語へ翻訳しています。当該記事は鄭麒來 (Key Ray Chong) 氏の研究に基づき、530 則の記録における 388 の食人事件をまとめたものです。なお件数については、二十五史のみを対象とした集計では異なる数字が示されることもありますが、本シリーズでは Wikiversity 版の記述に準拠します。
元記事は原文の記載がほとんどを占めており、また中国人・中国に一定の理解がある者による閲覧のみを想定しているからか、文化的な前提知識に関する描写が決定的に不足しています。本シリーズは、新しく翻訳に参加する方・中国の歴史に初めて触れる方へ向けて、簡単な背景知識と翻訳の手順についてゆっくり補足していきます。
中国史の時代スケール
中国食人史の記録は夏・商・周にまで遡ります。ただし夏商周の「記録」の多くは後世に編まれた文献に基づいており、史実と神話・伝説の境界が曖昧です。体系的な記録として扱える最初期は春秋戦国期(前770–前221年)です。以降の各時代については下表を参照してください。
| 王朝・時代 | 期間 | 使用した文献 |
|---|---|---|
| 春秋戦国 | 前770–前221年 | 管子・墨子・呂氏春秋・左傳・史記・資治通鑑 ※1 |
| 前漢 | 前206–8年 | 漢書 |
| 後漢 | 25–220年 | 後漢書 |
| 三国 | 220–280年 | 三国志 |
| 晋(西晋・東晋) | 265–420年 | 晋書 |
| 南北朝 | 420–589年 | 宋書・南斉書・梁書・陳書・魏書・北斉書・周書・南史・北史 ※2 |
| 隋 | 581–618年 | 隋書 |
| 唐 | 618–907年 | 旧唐書・新唐書 |
| 五代十国 | 907–960年 | 旧五代史・新五代史 ※3 |
| 宋(北宋・南宋) | 960–1279年 | 宋史 |
| 元 | 1271–1368年 | 元史 |
| 明 | 1368–1644年 | 明史 |
| 清 | 1644–1912年 | 清史稿 |
※1 春秋戦国の文献は史記以外正史ではありません。管子・墨子・呂氏春秋は諸子百家の著作、左傳は春秋の注釈書、資治通鑑は北宋の司馬光による編年体通史(史書のまとめ)です。史記は前漢(西漢)の司馬遷による通史ですが、春秋戰國時期は史書を編纂する慣習がなかったので、実質的な正史としてみなされています。
正史の編纂体制が整う以前の時代であるため、食人記録は断片的かつ文脈依存的で、当時の慣習や思想を伝える寓話・逸話として記されているものも含まれます。史記は春秋戦国から前漢初期にかけての出来事も収録しており、表上の「漢書」と時代が一部重複します。
※2 魏晉南北朝(420–589年)は、中国が南朝(宋・斉・梁・陳)と北朝(北魏・東魏・西魏・北斉・北周)に分裂して並立していた時代です。統一王朝が存在しないため、正史も南北それぞれの王朝に対応して複数存在し、同時期の出来事が異なる史書に別々の視点から記録されています。なお南朝の「宋」は後代の宋王朝(960年–)とは別の政権です。
※3 五代十国(907–960年)は唐の滅亡後、華北に五つの王朝が短期間に交代し、周辺に十の割拠政権が並立した分裂期です。旧五代史は北宋初期に官撰されましたが長らく散逸し、現行本は清代に輯佚されたものであるため、史料としての完全性は他の正史と比べて低い部分があります。新五代史は北宋の欧陽脩による私撰で、二十四史中唯一の個人著作です。
記録の密度は時代によってかなり異なります。特に唐末・明末は飢饉と戦乱が激しく、食人記録が集中しています。
正史とはなにか
中国の歴史書は大別して「正史」と「野史」に分けられます。
正史は、後世の王朝が前代の歴史を国家プロジェクトとして編纂した公式の歴史書です。漢代の司馬遷が『史記』を著して以来、王朝が交代するたびにこの慣行が続きました。二十四史(後に清史稿を加えて二十五史)は、その史記から始まる歴代の正史を一つにまとめたものです。
正史には、国家の正統性を裏付けるという公文書としての側面があります。天災・飢饉・社会の乱れを記録することは、前代の統治の失敗を示す根拠であり、新王朝の正当性を強化するための材料でもありました。こうしたことから、正史においての食人の記録はしばし極めて客観的な角度で簡潔に触れるだけにとどまります。
「人相食」という定型句
正史に「人相食」と記されるとき、それは個別の食人事件の詳述ではなく、飢饉や戦乱の深刻さを示す定型句と考えてください。たとえば「大旱、人相食」という記載は、「深刻な旱魃が起き、人々が極限状態に追い込まれた」という状況を端的に示すための表現です。食人史全体に渡りよく出現するフレーズなので、見かけたら「あ、人相食してる。飢饉か戦争が激しくなったんだな」とのように考えてください。
※この種の記録が体系的に残るようになったのは前漢からです。春秋戦国期にも食人の記録は『左伝』などに散見されますが、それらはあくまで個別の事件の描写であり、飢饉の深刻さを示す指標として定型的に使われるようになるのは正史の体裁が整った漢代以降のことでした。 背景には、前漢初期の黄老思想に基づく統治(いわゆる黄老之治)の影響があります。秦のきびしい治め方への反省から、漢の初代皇帝たちは民の生活を安定させることを統治の根幹に置き、天災や飢饉を「政を為す者の徳の欠如」として真剣に受け止める政治文化が形成されました。こうした民政重視の姿勢が、天変地異や飢饉の記録を正史に組み込む動機となり、「人相食」という表現が飢饉の深刻さを示す公式の指標として機能するようになったのです。
正史と野史の境界
鄭麒來の研究は二十五史を主な材料としていますが、Wikiversity 版の中國食人史が実際に収録している資料はそれだけではありません。資治通鑑(北宋・司馬光)などはその代表例で、これは正史ではなく私撰の編年体通史ですが、記事内に多数引用されています。
なにが信頼足る材料かの判断基準は確かに曖昧です。唯一確実な点は、正史の記録と私撰史書の記録の間では、史料としての性格が異なるということです。前者は国家の検証を経た公式記録であり、後者は個人の見聞・伝聞を含む場合があります。項目を読む際は Source 欄で引用元を確認し、どの種類の史料に基づいているかを把握しておくと、記述の信頼性がわかりやすくなります。
※野史について:正史と区別するように「野史」という言葉があり、基本的に民間人や下野した知識人が個人的に記した歴史記録のことです(私撰史書を含むが限らず、一部小説もこれにあてはまります)。正史に載りにくい内容(朝廷を批判する記述や民衆の生活の細部)が残っているのが特徴で、正史を補完する資料として重要な役割を担っています。
食人の動機別分類
鄭麒來が研究において最も重視したのが、食人動機の分類です。氏はこれを大きく「求生性食人」と「習得性食人」の二つに分けています。
求生性食人は、飢饉、籠城、戦乱などの極限状態において、生存のためにやむを得ず行われる食人行動です。正史に記録された食人の圧倒的多数はこちらに属します。これは世界の他の文化圏でも見られる普遍的な現象であって、中国特有のものではありません。
習得性食人は、生存の必要性とは独立した動機、例えば忠・孝・復讐・薬用・味覚的嗜好などによって行われる食人行動です。中国の場合、宗教的動機がほとんど見られないのが世界的に見ても特徴的で、代わりに現れるのが、儒教的な倫理観や薬食同源の思想と結びついた動機です。割肉療親(親の病を癒やすために自らの肉を切り取る)はその典型であり、唐代以来孝行の実践として記録されてきました。
ただし、この二分類は排他的ではありません。たとえば張巡が安史の乱の睢陽籠城戦で妾を殺して将兵に食わせた事件は、籠城という極限状態(求生性)と忠義の論理(習得性)が重なり合っており、どちらか一方に帰属させることが難しい事例です。記事を読む際は、この分類を二項対立としてではなく、動機の重心がどこにあるかを考えるための測準として使ってください。
項目の読み方
英語版の中國食人史では、各歴史書における個別の事件や記述を一つの独立した「項目(Entry)」として構造化しています。項目は以下の要素で構成されています。
- タイトル: 事件の発生時期、概要
- 英訳 / 原文: 文言文の原文および現代英語への翻訳
- 引用元: その記述がどの歴史書のどの巻に基づいているか
文章ではわかりにくいので、具体例を示します。
194 CE: Famine During the Puyang Campaign, Sanguozhi
English: That year, one hu of grain fetched over fifty thousand coins; people ate each other. Newly recruited troops were thereupon disbanded.
Original: 是岁谷一斛五十余万钱,人相食,乃罢吏兵新募者。
Source: Sanguozhi, "Annals of Emperor Wu, Vol. 1" (《三國志·卷一·魏書一·武帝紀》)タイトルは [年]: [名称(事件の原因・記述の主体)], [引用元の書名] のフォーマットに従っています。いくつかの例外について:
c. [年]-[年]: この期間内に起きた出来事。通常、年代の推定が難しい古い記録に出現します。During reign of…: 特定の人物の執政中に起きた出来事。具体的な年代が特定できない場合のみ使用されます。- 年代の記述なし: 稀に年が指定されていないことがあります。引用元からさらに引用された寓話など、二次引用かつ出所不明のものが多いです。
- 例:
Critique of "Yi Di", by Moziは墨子(書名)にて引用された、南に住む野人の食人風習の寓話について説明しています。
- 例:
Source 欄の英語表記は 中國哲學書電子化計劃 に準拠しています。Volume は中国語の 卷 に該当します。
同じ事件に関する記載が複数ある場合は、インデントで階層を示します。
194 CE: Famine During the Puyang Campaign, Sanguozhi
English: That year, one hu of grain fetched over fifty thousand coins; people ate each other. Newly recruited troops were thereupon disbanded.
Original: 是岁谷一斛五十余万钱,人相食,乃罢吏兵新募者。
Source: Sanguozhi, "Annals of Emperor Wu, Vol. 1" (《三國志·卷一·魏書一·武帝紀》)
194 CE: Famine During the Puyang Campaign, Sanguozhi(2)
English: Cao Cao led his forces back ...
Original: 太祖引军还...
Source: Sanguozhi, "Biography of Lü Bu, Vol. ...
194 CE: Famine During the Puyang Campaign, Hou Han Shu
...すべての記録が同じフォーマットで統一されているため、特定の時代・動機による事件を比較・分析する際の足がかりとして機能します。
ひとこと
食人の記録を閲覧することは心理的な負荷となりえます。鄭氏に限らず、これら研究が目指したのはー食人という行為、およびそれを許してきた歴史的文脈を道徳的に断罪することでも、センセーショナルに描くことでもなく、史料に基づいて中国における食人現象を類型化・分析することだけです。この姿勢を念頭において元記事を閲覧してください。必要な距離感を保つ上の助けになると思います。