こんにちは、私のコーナーへようこそ。
未整理の手稿や、日常のささやかな記録たちは下の方に置いてあります。
記事の一覧は 棚の方 まで。興味があればご一読ください。
その後は、日溜まりに座ってお話をしましょう。
Appendix: ポストカード
せっかくなので、トリエステ散歩記事のポストカードを作りました。
大事にしてくださいね。
補足:実はシリーズのイラストすべてこの絵柄で描きたかったのですが、時間と技術的な理由で難しいです。でもポストカードはシリーズ更新ごとに描く予定なので、ご期待ください。
Sommeとお散歩: 第二回 1897年、トリエステ
Molo San Carlo の石の柱にもたれて、入港する船を眺めていた。オーストリア・ロイド社の定期船がアドリア海の朝霞を割りながら岸壁に寄ってくる。タラップが降りると、乗客が甲板からぞろぞろと降り始めた。
わたしは頭ん上のボンネットの紐を直しながら、その流れの中にあなたを探した。コートの襟を立てた商人が前を横切る。錆びたトランクを引きずる老婦人、白い服の水兵の一団。ドイツ語とイタリア語が潮風に混じって、誰が誰に話しかけているのかわけがわからない。人波が埠頭に散らばっていく。その向こうに、ようやくあなたの姿が見えた。桟橋を小走りで駆けていく。
「また会ったね」
あなたの顔を見て、少しだけ安心した。鞄の持ち手を握り直す。
「今回の場所はわたしもはじめてだよ。一緒に迷子になろう」
港の空気はパリと違っていた(もちろんだけど)。石炭の煤煙と潮と魚の匂いが全部混ざっているような強烈な冷たさ。建物の向こうに海と空が抜けていて、街全体が開けている。ギリシャ商人らしき男たちが荷揚げの指示を飛ばしている横を、スロヴェニア語で話す女性たちが魚籠を運んでいく。イタリア語の新聞を売る少年の声がよく響く。
海からの風が強くなった。ボンネットの縁が煽られて、片手で押さえる。十月のアドリア海はもう夏の気配はなく、冷たい突風が時おり波頭を白く立てていた。
「さ、行こう。あっちから頂上に登るんだって。」
二人で埠頭を離れた。石畳の道が、旧市街に向かって傾斜していく。
少し経って旧市街に入ると、道が急に狭くなった。石灰岩の壁と壁のあいだに曇った空。洗濯物が頭上をまたいでいる。白いシーツ、縞の靴下、子供の肌着。風にはためくたびに、すぐ上の窓からイタリア語で誰かを叱る女性の声が降ってくる。たぶん子供を。わたしたちではないと思う。
斜面が終わって石段が始まる。古い灰黄色の段で、真ん中が何百年分すり減ってくぼんでいる。両側の壁は湿っていて、深緑の苔が隙間に濃く詰まっていた。スカートの裾を少し持ち上げながら上る。足元を見続けていると、視界に猫がいた。石段の真ん中に寝そべっているから避けて通るしかない。トリエステの猫は偉そうだなと思う。
坂の途中の小さな広場に、ローマ時代のアーチが一つ、建物の壁に半分めり込んだまま残っていた。Arco di Riccardo(ガイドブックにあった)。千八百歳の石のすぐ下で、老人がベンチに座って新聞を読んでいて、少年が二人石を蹴って遊んでいる。観光客のわたしたち以外、誰も特に気にしていない。
「ま、ローマの栄光をまだ気にしているほうがダサいけど」
あなたはわたしの意図を汲んだみたいで、視線を逸らして笑った。
「もうちょっとで上だよ」
たぶん。木が多くて頂上への視線は遮られている。これは自分に言い聞かせたのかもしれない。
結局十分ほど歩いた。丘の頂上に着くと、サン・ジュスト大聖堂がそこにあった。地味だった。くすんだロマネスク様式の正面。門の彫刻もなければ飛び梁もない(パリと比べるのは野暮だが)。中に入ろうとしたが、入口にドイツ語の巡礼団体が詰まっていて、扉の向こうから賛美歌が漏れ聞こえていた。あなたはわたしを見て、肩をすくめた。
「……まあ、外から見たし」
代わりにといって、城壁の端まで歩いた。そこからトリエステが一望できた。さっき歩いてきた埠頭、停泊する船の列、大広場の白い建物。その向こうにアドリア海が広がっていて、イストリア半島がうっすら霞んでいる。
赤いくすんだ屋根が不規則にならんで、曇りの海とちょうどいい対照になっている。松が生えた低い丘が町を囲んでいる。
「そろそろ行こう。お腹が空いたの」
下りは上りより楽だった。別の道を通って降りていくと、旧市街の細い路地から急に視界が開けて、海沿いの大通りに出た。
「あそこ」
右手を指さした先に、Caffè Tommaseo、と書かれてた日除けが見えた。ガイドブックに載ってた、トリエステで一番古いカフェ。
扉を開けると、煙草の煙とコーヒーの匂いが一緒に押し寄せてきた。
壁一面に鏡が張られていて、店の中が実際の倍の広さに見えた。大理石のテーブルが並び、天井から銅色のガス灯が柔らかく落ちている。客のほとんどは男性で、新聞を広げているか、向かい合って声を潜めて話し込んでいるかどちらかだった。角の席で、白い髭の老人がひとりチェスの盤面を睨んでいる。対戦相手はいない。鏡と対局してる?
真ん中に空いていたテーブルに座った。椅子の張り布は赤い。座ると少し沈むタイプの柔らかさだ。給仕が来て、わたしは注文した。
「ヨータを二つお願い。あれば鰯のグリルも」
あなたが驚いた顔をしたので、少し得意になった。
「船で隣に座ったおばさんが教えてくれたの。トリエステに来たらヨータを食べなさいって。豆と酸キャベツのスープ。おばさんの言ったことだけどね、これを出さない店はまともじゃないらしいって」
驚くべき早さでヨータが届いた。厚手の陶器の器に、茶色いスープが湯気を立てていた。白いんげん豆、酸キャベツ、じゃがいも。塊のまま崩れかけた豆が底に沈んでいる。とろけた豆の塊はとても重い。ひと口目で身体の芯が温まって、坂道で冷えた指先に血が巡っていく感じがした。
鰯のグリルも来た。三尾ずつ、小さな皿に並んでいる。皮に網目の焦げ目がついていて、レモンが半分添えられていた。
「おいしい」
あなたも頷いた。しばらく二人とも喋らず、ただ食べていた。旅先で食べる料理は大抵おいしい。それが新鮮感からくるものであろうとも。
隣のテーブルから、声が聞こえた。中年の男が二人、コーヒーを挟んで身を乗り出している。
「また壁に書きやがったぞ。Via Carducci。朝には消されたがな」
「馬鹿野郎。隠れていろと言ったじゃないか。」
声が小さくなり、聞こえなくなった。わたしは最後のひと匙を口に運びながら、壁の鏡に映ったその二人をちらりと見た。どこにでもいそうな市民だ。イタリア人ということだけはわかる。これ以上は野暮だと思って視線を外した。
給仕がコーヒーを持ってきた。注文した覚えはなかったが、どうやらヨータの後にはコーヒーが出てくるものらしい。小さなカップに、黒い液体が並々と注がれている。砂糖を入れて飲むと、苦くて濃くて、ウィーンのメランジェとは全然違うように思えた。トリエステは帝国一のコーヒーの港だと、さっきのおばさんも言っていた。豆が最初に届く街だから、ここの人間はコーヒーにうるさいと。
飲み干したあと、代金を払って店を出た。
カフェを出て左へ曲がると、街の様子はずいぶんと違っていた。旧市街の迷路じみた坂道ではなく、広い通りが直角に交差している。建物の正面が行儀よく揃っている。これまたガイドブックによると、マリア・テレジアの時代に碁盤の目で引かれた新市街だそう。ハプスブルク家の裏庭といったところ。
そのまま数分歩いて、Canal Grande の上に出る。海から内陸へ真っ直ぐ伸びた運河で、両岸に商館の列が並んでいる。荷船が低く浮かんで、繋がれた船同士がぶつかる木の音を繰り返していた。水面に油が薄く光っている。休憩時間だろうか、荷揚げをしている男たちも、帳簿を開いた商人も見当たらない。空の小舟がゆらゆら揺らいでいる。
左に、青灰色のドームが二つ浮かんでいる。一つめはセルビア正教の聖堂だった。正面の祈祷文が金色に鈍く光っていて、わたしはその文を解読することに夢中になった。…БОГЪ ВЪ МѢСТѢ СВЯТѢМЪ(?) は読めた。「聖なるすまいにおられる神は」の一節だろうと思う。正教会のファサードには決まって刻まれている定番だ。下の方は…読んだことはあると思うけど、出所が思い出せない。
吟味していると、ちょうど家族連れが中から出てきた。子供が二人石畳を駆け出して、母親が追いかけながら叫んでいる。父親らしき背の高い男が、子供たちの後を悠然と歩いていく。数歩歩くと彼は帽子を脱いで、聖堂の方を向いて十字を切った。
運河沿いをさらに歩くと、反対岸にもう一つドームが見えた。今度はかなり大きいシナゴーグだった。白い外壁と鐘楼の前で、ユダヤ人の老人が二人、新聞を広げてベンチに座っている。片方が何か言って、もう片方が大きく笑った。相変わらず、カモメが頭上を飛んでいる。
ポンテ・ロッソの橋を渡ると、運河の突き当たりに露店がひしめいていた。
一番手前が魚屋で、タイやイワシ、大きいエビが砕いた氷の上にずらりと並んでいた。売り子のおじさんがイタリア語で値段を叫び、客のおばさんがドイツ語で値切っている。お互いの言葉なんて通じてないはずなのに、指の動きと表情と語気の強弱だけで商売が成り立っていた。おじさんが首を横に振る。おばさんが財布を閉じるふりをする。おじさんが溜息をついて、鰯をもう一尾紙の上に載せた(ありえない!)。おばさんは満足そうに硬貨を置いて去っていく。
魚屋の奥に青果、乾物、香辛料が続いていた。カゴに盛られたイストリアのオリーブ、ダルマチアの乾燥イチジク、ハンガリー平原から運ばれてきた小麦粉の袋。山積みの南瓜の隣に、鮮やかな赤い粉が量り売りされていた。パプリカ・パウダー、と値札が言う。
目についた生のイチジクを買った。売り子の黒い肌の女の子に二つくださいと言ったら、三つ握らせてくれた。一つをあなたに渡して、自分のを割る。皮が薄くて、中が蜂蜜みたいに赤くて、種がきらきら光っていた。
「おいしい。食べたことないよこれ」
市場の通路は人でいっぱいだった。買い物かごを提げた主婦たちが売り子と声を張り上げ、荷物を担いだ少年が走り抜けていく。生地屋の前で布を光にかざしている男、香辛料の匂いを嗅ぎ比べている婦人。トリエステ語、ドイツ語、ギリシャ語、スロベニア語。ここはそういう場所なのだ。
市場の端まで来ると、運河が海に入って途切れた。海沿いに沿って港付近まで歩く。
「今日楽しかったね」
そんなことを言いながら、海上で踊る鴎を眺めていると、風がいっぺんに強くなった。あなたをつつく。
「ね、風」
「強いね」
海沿いの歩道を歩き始めたとき、背中を押されるような突風が来た記憶があった。数秒で止んで、また吹く。今度は明らかにさっきより強い。それも、数倍なほどに。
通行人の動きが変わった。足を速めて軒下に駆け込む者、壁に手をついて立ち止まる者。海を見ると、波頭が一面に白く立っていた。
ボーラだ!
すぐに立っていられなくなった。カルスト台地の向こうから吹き降ろしてくる風が、通りを横殴りに駆け抜けていく。目を開けていられない。建物と建物の間にロープが張ってあった。こういう日のためのものらしい。ふざけてる!わたしはあなたの腕を掴んで走った。
ロープを握った瞬間、頭が軽くなった。
紐が解けて、ボンネットが風に攫われて、白い浪花の上を鷗みたいに舞い上がっていく。わたしは片手を伸ばしたが、とっくに届かない高さだった。
「うわあ」
あなたが何か言おうとしたが、風に消された。髪が顔に張り付いたまま、ボンネットが海の方へ飛んでいくのを見送った。気に入っていたのに。
ロープを伝って歩いた。一歩ごとに風が身体を横に押す。前を行く紳士が帽子を両手で押さえていて、その奥では犬を抱えた女性が必死の形相で走っていた。犬だけ妙な落ち着きがある。とにかく今はそんな場合じゃない。走らないと!
角を曲がって、風を背にした路地に逃げ込んだ。建物に遮られて、急に静かになった。耳が鳴っている。疲れた手で顔をぬぐったら、砂塵と海水が混ざった色をしていた。自分の顔が迷彩のようになってることになんとなく気が付いた。
あなたの視線に気づいて睨み返すと、数秒の沈黙が続いた。それから、
「あっははっ」
「ふふっ、ふははは」
こみあげる笑いが固い空気を貫通した。頑張ってとめようとするとあなたの顔が見えてしまって、たまらずまた吹き出す。あなたは手に顔を埋めたが、隠せないほど顔が笑いに震えてるのがわかる。
「ずーるーい!!」
無理やり手を外すと、あなたは笑いすぎて後ろへのけぞり返った。それでまた涙がでるほど笑ってしまって、止まらなくなった。二人分の笑い声が街角を満たした。
どれほど経っただろうか、あたりはもう暗くなっていた。通りがかった婦人に白い目で見られたほどに。
宿は港の近くの大道辺り、四階建ての古い建物だった。看板には Albergo とだけ書いてある。受付の男が、わたしたちのずぶ濡れの姿を見て一瞬口を開きかけたが、何も言わずに鍵を渡した。慣れているのだろう。ボーラの日には、こういう客がいくらでも来るのは想像できる。
部屋は狭かったが、暖炉があった。火をつけて、椅子を二つ暖炉の前に引きずった。靴を脱いで、濡れた靴下を炉の柵に掛ける。スカートの裾から水が垂れて、木の床に小さな染みを作っていく。あなたも同じようにしていた。二人分の靴下が暖炉の前にぶら下がっていて、さっきの風がもう嘘みたいに静かになっていた。
窓の外ではまだ風が唸っている。でも、窓の内側にいる自分たちは乾いて暖かい。
「散々だったね」
パリでも同じことを言ったと思う。雨の中、ベンチの横で。あのときは今と比べればまだ元気だった。今は身体の芯がずっしりと重い。一日分の疲れが鉛のように足に沈んでいる。
あなたがイチジクの残り一つを差し出した。市場で三つ買ったうち、奇跡的に潰れなかった最後の一つ。わたしは受け取って、半分に割った。
「ね、今日楽しかったでしょ」
暖炉の火が、ぱちぱちと鳴っている。
小さく咳をした。喉の奥が少しひりひりする。ボーラの冷気を吸い込みすぎたのだろう。心配そうな顔をしたので、手を振って笑った。
「大丈夫。乾いたら治るよ」
翌朝、あなたが先に起きていた。
窓から光が入っていて、風はもう止んでいた。暖炉はとっくに消えていて、部屋は少し冷えている。靴下は乾いていた。
わたしは毛布にくるまったまま動かない。
「……あと五分」
欲説還休
こんにちは、わたしです。 書きたい記事はいっぱいあるけどまずシリーズ物を完成しなければいけない強迫観念にとらわれているよ!!本当は私のブログだからべつにどう書いてもいいんだけど。フィード型のホームページだから、日記とか雑多があふれてしまうと精力的に書いた長い記事が見つけにくくなっちゃう。それで日記を公開するのにあまり気が乗らなくて、必然的に更新が遅くなっちゃった。見てくださってる方、ごめんね。
それと、RSSフィード に下書きが誤って公開されていたとお知らせしてくれた方がいました:
- フィルターが正常にdraftプレフィックスを認識し
- post と article 両方のコレクションを配信する
よう修正しました。親切に教えてくださった 小幡 晋介 様、ありがとうございました。
2026-05-02
こんにちは、わたしです。
過去作の短篇集と殴られ屋を整理して公開しました。最近は忙しいのであまり投稿できていません(当初の予定では、インスタみたいな感じで気軽に毎日数投稿はするつもりでした)が、書きたいものはたくさんあります。ご期待を。
あ、それと殴られ屋はわたしにとってとても重要な作品で、もともと公開するつもりはなかったのですが(すごく個人的なテーマなのもあって)、迷った挙句に結局出しました。なので、削除する可能性がかなりあります。以上。これより下は日記です。
卒業アルバム
卒業アルバムが降りてきました。もともとカバーコンテストに参加したかったのですが、諸事情でかなわなくて残念…って感じでした。でもいざ実物をもらったら、カバーにすっごく気品のある薄青色の金属みたいな質感のコーティング?を使ってて、予想外でしたけどいいサプライズでした。ナイス。
上伊那ぼたんの愛読書
Xを日常的に監視しているオタクっぽい友達からDMが来て、「このキャラが読んでる本えぐい」みたいなメッセージとリンクがある。
開けると、ピンク髪のなんかかわいくて胸が大きい子がピースしている横に設定ページらしきものがある。これは百合アニメで、女の子たちが酒を飲んでイチャイチャするアニメだと友達が言う。ほー、よく聞くけど実際はこんな感じなんだね。そう思って横の愛読書リストらしき画像を開くと、「純粋理性批評」からの「Concept of the mind」で横転!!
まじでオタクの幻想に片足突っ込んでるよ。それが趣旨といえばそうだけど、純理を読んでそれを愛読書リストの一位に載せる女の子はよくないフィクションだよ。そもそも女の子たちが酒を飲んでイチャイチャするんだったらその要素いる?わたしは衒学的なクールさより素直さを重視するよ。てか Cathedral and Bazaar をわざわざ読んでる人間なら99%の確率ですでに Gitea をセルフホストしてて人間やめた数のコミットしてる open source evangelist じゃん。酒やめろや。あんた真人間になれるで。
67
クラスの男に「67」という数字を話しかけてはならない。いくら穏重にみえる品行端正な人でさえ、馬鹿みたいに手を上下する様を見るだろう。死ね。ReelsはTikTokより有害です。
「それじゃ、ごゆっくり」
そう言い終えると、老板は一瞬目配りをしてドアを閉めた。すぐにかちゃっ、と鍵をかける音がした。
わたしはベッドの横にただ座っていた。信用していないとはいったが、いざ老板が出てしまうとさっきまでの期待と高揚感がうそのように心細い。男の人は、錆びた天井に貼られだ魔よけ札を見つめながら、なにか考えことをしているようだった。どう声をかけるか迷っていると、彼が目を合わせてきて、先に話してくれた。
「じゃ、まずは横になってもらえるかな」
抑揚のない優しい声だった。わたしはそれに従順に従った。両手、両足をすらりと伸ばしながら、目を閉じる。なるべく緊張を表情に出さないよう頑張った。
右の手首を掴まれた。ひんやりと冷たい彼の体温が心地よく、安心感を与えてくれた。次は左の手。ざらりとした金属の感触が手首を固める。こうして、ゆっくりと丁寧に、わたしの両手には重く硬い手錠が繋がれた。
目を閉じながらじっとしていると、こんど彼は自身の服を脱ぎはじめたようだった。まずはコート、次はシャツ。好奇心に耐えかねて目を開けると、襟のボタンもきっちりと閉められていたのが見える。父ですら見るのは恥ずかしいのに、知らない男の人を覗き見ようとするのはあまりに破廉恥だとふと気づいて、急いで目を閉じる。
しばらくすると、彼がベッドに上がってきたようで、突然、両方の手首に重い感覚がのしかかる。見ると、彼が膝をわたしの伸ばした両手について、馬乗りになってきた。シャツは完全に脱ぎ捨てられており、筋肉質な上半身があらわになる。先ほど感じられなかった汗と熱気が、一気に鼻の奥をついてきた。大柄な影がわたしを覆い被さる。ああ、男の人って大きいんだな、といまさら実感する。同時にすごく緊張してきた。先ほど緊張していないわけではなかったが、この場合は不安の割合がかなり大きいということだ。
恥じらいに顔を布団に埋めたい感覚のままでいると、彼が「じゃあ、そろそろ始めるよ」といってきた様子で手を上げたので、わたしは慌てて頭を戻して、目と口を固く閉じて準備をした。が、彼は突然何かを思い出した様子で、動きをやめた。
「顔の方は大丈夫かな」
変な問題だ。わたしはフリープランに承諾したのだから当然だ。それを指摘しようとしたが、緊張と彼の放つ威圧感で舌が震えて、あまりうまく喋れない。
「あ、はい…おねがい、します」
これが正しい回答だったのはわからないが、彼は満足した様子で拳を握りしめた。 衝撃に備えるため、うまくいった嬉しさで頬が緩みそうになるのを抑えたが、今回もまた何も感じなかった。
「ごめん、目は開けておいてほしい」
おそるおそる目を開けながら彼の表情を見ると、目の端が潰れたような、歪んだ笑顔でわたしをじっと見つめている。正直影であまりよく見えないが、その暗さがなおさら不気味にさせている。
「ちゃんと見てほしいからね」
軽くそういい終えると、彼はついに血管が暴いたその拳をおもいっきり持ち上げ、振り下ろした。
いたっ!!
額から上が火に焼かれたようにジーンとして、鼻の奥から目の後ろあたりにかけて強烈な鉄の味がする。思考が痺れて、コントロールが効かなくなった口から涎が垂れ出したのがわかる。眼の角から大粒の涙が滲み出る。鼻水か鼻血なのかわからないけど、鼻の中央あたりが熱くはち切れそうで、息ができなくて苦しくなる。
ひゅー、ひゅーと必死に浅い呼吸をつないでいると、彼がまた話かけてきた。
「どうだった?怖かった?」
「怖、怖く、ないです!ごめんなさい、ごめんなさい!」
「そうかい」
彼の声のトーンが一段と低くなった。けど心なしか、さらに嬉しそうに聞こえた。
「ならもう一回いってみようか」
「ごめんあさい!まってー」
わたしの懇願にも関わらず、また額の少し下のあたりを強く殴られた。体をうねらせる暇もなく、ひりひりとした皮膚に彼の指節がくっきりと食い込む。ドン、と低い音が、耳に空気の層が詰まってるような感じで弱くなった頭の中に響く。腫れた薄い皮膚が彼の拳骨にべたつき、乱暴に振りほどかれては千切れるような刺激が走る。恐怖より遅く来た痛みに歯を叩きつけて舌を噛みちぎりそうになる。
ドン。ドン。
頭の芯が円を描くように揺れて、最初の衝撃がまだ引かないうちに次が来る。
音がしなくなりはじめた。痛さでまぶたが開けられない。鼻はもう血の匂いで満たされていて、一生懸命努力口を開けて呼吸しようとするけど、上の方から血が少しずつ入ってきて、気持ち悪るさに吐きだしそうになる。両手が固定されているのでどれだけからだを震わせても逃げられない。手錠がガシャン、ガシャンと激しく揺らされる音がかすかに聞こえたが、自分の手はもう彼の体重を乗せられてるうちに麻痺してきたので、もしかしたらベッド全体が揺れているのかもしれないと考える。でも実は何も考えられなくて、ただすべてがぼかされたようにふわふわする。
保護される前のことを思い出す。父が「おかえり」を言わなかった日。夕飯を食べなかった日。部屋で勉強しようとしても目がくらみ、涙がひとりでにこぼれて、文字が頭に入らなくてなって、また泣いてしまう。そして決まって、乱暴にドアをたたき開けながら無言で入ってくる父。呼吸が早くなり、怖くて、考えるより先に謝罪が口から出る。が、それで父の機嫌がよくなることはけっしてなかった。
「こんなんじゃ社会でやっていけないよ。出てきなさい。」
「出てけ。今すぐそこから出ていけ。」
「出てけつってんだろ!聞こえないフリしてんのか?顔をあげろ!殺すぞ!」
そして、
「自分で拭きなさい」
「ごめんなさい…ごめんなさい、」
バタン。
父はいつもこう言い残し、ドアの向こうに消えていった。わたしは鼻血を拭くためのタオルを、すすり泣き声と悲鳴が出ないように口に噛んで、自分の頭を机に打ち付けた。何度も。何度も。震える腕を机に置き、ハンマーで指の甲を赤色に潰した後、手を、足を、お腹を、ハサミの先端で切り開いた。痛みがぬくもりに変わって、それに優しく揺らされて眠りに落ちるまで。
それでも父のことは大好きだった。こんなに価値のない自分を傷つけることで父が生きていけるのなら、それはむしろとても嬉しいことだとも思えた。
実際、毎日、殴られる前の時間はとても恐ろしかった。ただ、次の瞬間に父が入ってくるんじゃないのかと考えると、殺される恐怖で泣き出しそうだった。そんな事を考えている自分が嫌いでまた泣きそうになって、数学の問題も全く分からなくて、解答シートを泣きながらにらみつけて、早く死ぬしかないということしか考えられなかった。
だけど、わたしはいつしか父が入ってくることを心の奥で密かに期待していた。殴られるまでの時間は耐え難くて悲しかったけど、顔と手がヒリヒリして、自分には生きる価値がないとはっきり言われた後は、なぜかとてもあたたかい感じがした。もうすぐで死ねて、もう誰にも迷惑をかけることもなくなるんだ…と考えると、安堵と泣きたくなるほどの嬉しさがなだれ込んで、安心して自分をもっと傷つける事ができた。それは幸せで、わたしは父に殺されることを夢見るようになった。機嫌の悪い日に、何かの拍子でわたしを殺してくれたらいいのにと。
しかし、なぜかまた神様に裏切られた。
父は酒をやめた。わたしにも笑顔で話すようになった。毎日遅くまでパソコンのキーボードを叩いた日でも、足音は静かだった。でも仕事は相変わらず多くて、夕飯を食べない日も少はなくならなかった。父は目に見えて痩せこていった。目の下のクマが一日、また一日と重くなっていくのが分かる。
父のことが心配だった。だから、とある日の深夜に勇気をだしてリビングの方へと歩いてみた。ドアの向こうに明かりがついてるのをみて一瞬足がすくんだが、深呼吸をして、なんとか気持ちを落ち着かせた。それから、震える手を無理やり動かし、意を決してドアを開けた。
大丈夫。怖くない。父がいなくなってしまうことの方がずっと怖い。
門の金属からキィーとかん高い音が鳴ったが、父はわたしに目もくれなかった。安堵したと自分に言い聞かせたが、同時に少し悲しかった自分もいた。どうにかして注意を引こうと、わたしはなにか言おうと考えた。
「ねえパパ、早く寝ようよ」
「明日起きられなくなっちゃうよ」
一瞬父の視線がこちらを向いたのを確かに感じた。二人の間の数秒を静寂が埋め尽くした。
突然、父は怒りに燃えて椅子から立ち上がり、震えながら手を握りしめているわたしを怒鳴りつけた。
「いい加減にしろ!」
やった。
目に涙が浮かんだが、心の中ではうれしかった。父はやはり我慢していたのだ。わたしは震える両手を大きくあけながら、息を吸い込んでこういった。
「パパ、最近我慢してるよね」
「わたしのこと、怒っていいんだよ」
怒りに震える表情筋の動きが止まった。わたしは達成感と緊張感で立ち尽くしながら目を閉じ、ただとびっきりの笑顔を作って、息を留めながら、父を受け入れるのを待っていた。しかしどれほど待っても、父が動く気配は感じられなかった。
こらえなくなり、細く目を開けると、父はその大きな手のひらのなかに顔をうずめていた。わたしは急いで父のそばへ走り寄った。そして昔のように息をこらえて横でおとなしく待った。でも、父はまたなにもしなかった。いわれのない罪悪感が心の底から湧き上がる。最悪の想像が目の前の現実を侵食していく。
ごめんなさい。
わたしのせいだ。全部わたしが我慢させてたせいだ。
「パパ…ごめん…」
必死にあやまっても効果はなかった。父は死んだか、壊れたのではないかと本気で思った。わたしはいつもなら怒鳴られるかもしれないにもかかわらず、さらに泣きそうな声を上げて願った。
「パパ、ごめん、本当にごめん、だからなにか言って…」
泣きながら願い続けていると、やっと父は顔を挙げてくれた。わたしは急いで頭を低くしたが、父はただ、疲れ切った声でこういった。
「パパは疲れたんだ。おまえもこんな遅くにおきちゃいけないよ。早く寝なさい。」
違う。こうしてほしいわけじゃない。早く、わたしをー
「明日は学校があるだろ?寝なさい。ここにいても邪魔なだけだよ」
わたしが再度声を上げるより前に、父は再び視線をパソコンの画面に戻した。その瞬間、もうわたしは父にとって、もう何の価値がなくなったことを、はっきりと理解した。わたしは泣きながら部屋に駆け戻り、力を込めて頭から顔、お腹を必死に金具で殴った。しかし冷たい金属の痛みには、もうあの温かさは宿らなかった。
意識がベッドの上に戻る。わたしは今きっと涙と乾いた赤にまみれて、痛みに眉間を歪めて、血眼で虚なところを見つめているのだろう。けど、わたしはとても幸せな気分でいる。だって、こんな生きる意味がない人間が、もう一度誰かのために役立てて、誰かに愛されるとは夢にも思わなかったから。そして、わたし自身殴られるのを楽しんでいる。もっと殴って、痛みつけられて、最後はこの人の優しい声に絆されながら永遠の眠りにつく。それはきっと幸せで、いまのわたしが手にすることができる唯一の幸福だと思う。もう一度、死ぬことは幸せだとはっきり再認識した。嬉しさのあまり、涙と笑みがこぼれる。痛みと快楽が同時に襲ってくる。
「もっと…して」
自分の声の掠れ具合に驚いたが、それはもはや重要ではなかった。ただ、今、必死に殴られたい、愛されたいと願った。彼はわたしのささやかな熱望に気づいたようすで、こう答えてくれた。
「そういうには、自分からもうちょっと積極的にならなきゃね」
いじわるだと思いつつも、わたしは涙をふき、とびっきりの笑顔を作った。そして、
「お願い…します、」
「わたしを…殺して、ください」
頭を垂れながら、そう本気で懇願した。自分でも驚くほど誘惑的な声だった。
彼は満足げに頷いてくれた。そして、これから、たった一つの願いを叶えてあげると言わんばかりに、一礼するかのようにその大きな身体を屈めた。
顔が近い。品の良いコロンの香りが、鉄の匂いを掻い潜りながら脳に直接語りかける。この人が、私を愛してくれている、父を悲しませるだけの、生きる価値がないわたしという人間も愛してくれてるという事実だけに幸せを感じる。もしかしたら、彼は死神かもしれない。わたしみたいな人間すら、極上の死と幸せを語りかける博愛の死神。それはあまりにロマンチックな存在で、わたしはもう彼に殺されるのが待ちきれないでいた。心がドキドキするのを感じ、これが恋か、と思い上がる。
彼は紳士的に、わたしのゆったりとした綿のパジャマのボタンを一つずつ上から外し始めた。自分の体がだんだん露わになるたび、空気に触れるたびにわたしは興奮に震えた。改めて見ると、わたしの身体は本当に醜くてしかたなかったが、彼はめっきり気にしないようすだった。むしろ、喜んでいるように見えた。それがなおさらうれしかった。
ドン!
期待通りの恐ろしい衝撃が胸腔のなかでこだまする。鳩尾に激痛が走って、薄い胸板が狂ったように上下しはじめる。うれしい。これほど愛されていると感じたことは今までなかった。涙でぼかされた視界に彼の顔が映る。
その顔は笑っていた。その笑みをわたしは知っていた。心から嬉しい時の笑い。もう二度と父が見せることのなくなった表情。それが今、目の前にこんなにも輝いている。
わたしは笑い始めた。といっても、息を吸い込むにも痛くて、ただ痛みが痛みを呼んでひきつってるだけなのだが、それでも心からの笑いには間違いなかった。またすごい歪みが心臓のあたりに走る。カン、となにか明らかにおかしい音がしたが、麻痺したノイズが胸あたりを覆い尽くしてそれどころではない。
体の中で何かが硬いもの割れた感じがする。息を吸おうとするたびに、肋骨の内側で何かが鋭く食い込んできて、吸いきれないうちに呼吸が止まる。それでも空気が足りなくて、足りないまままた吸おうとして、また痛みに遮られる。もう皮膚が痛いのか、内臓が痛いのか区別がつかなくなってきたが、だんだんと温かさが脳をやさしく囲んできて、考えることをやめてもいいと囁いている。
体をうねらす気力もなくなってきた。わたしは呼吸しやすい姿勢に身体を傾けなければならなかった。
息を吸う音がやけに大きく聞こえる。痛みには麻痺しているのに、全身の感覚が突然敏感になったように周囲の環境の変化が鋭く伝わる。男の呼吸が荒くなっているのがはっきりと聞こえた。しかしそれ以外にも、妙な音が室内にこだましていた。低いうめき声の様な音。
「がっ」
「え゛うっ」
耳に入ってきたのはやけに低く、変なエコーがかかってるように朦朧としている、立て続けに起きる反吐の様な声。それを自分の声だと気付くのに長くかかった。
ヒュー、ヒッ、はっ、
異常に早い呼吸の音が続く。わたしはついに死ぬんだ。なぜかわからないけど、確実に、はっきりと、そう思った。
トン。トン。トン。
鈍く響く心臓の音が急に早くなり、呼吸の底がつっかえたように浅く繰り返す。ああ、横隔膜が壊れたんだ、とわたしは冷静にそう考えた。吐き気と悪寒が全身に広がっているけど、すでに痛みに埋め尽くされたところには不思議と感じられない。ただ懐かしい温かみだけがそこにあった。出血によるものなのだろうか?どうも違う気がするけれど、うまく説明できない。しかし、もう説明を考える必要もないのかもしれない。わたしの声はもう誰にも聞こえないのだから。
男の呼吸がゆっくりと遠ざかっていった。それから音が消えた。手錠の軋む音が、布団の擦れる音が、室内に満ちていたはずのすべての音が、水の底に沈むようにまどろんでいく。次には重さも消えた。膝の圧力も、手首を固める金属も。肋骨の奥に残響していた衝撃。ひとつひとつが、丁寧に剥がされるように消えていく。暗がりの中で彼の輪郭がとけて、誰かがそこにいるという気配だけが残った。
痛みだけは消えなかった。
輝く様に晴れた夏の日、家族三人で公園にピクニックに出かけたときの思い出。わたしと母はボール遊びに夢中になっていた。何度も転んでは立ち上がり、笑い声をあげてボールを追いかける。
お父さんは少し離れたところで、そんなわたしたちを微笑みながら見つめていた。その表情はこの世の物とは思えないほど穏やかで、優しさに満ちていて、時折楽しそうに口元を緩めては笑みをこぼしていた。
あの表情だ。わたしが二度と見ることはないと思っていた、わたしのための特別な笑顔。
あまりのまぶしさにただ見つめていると、父はふと立ち上がった。そして、わたしの方へと歩いてきた。楽しそうに母と遊んでいるわたしではなく、醜く、汚く、価値のない、いまのわたしの方へ。一歩、また一歩と。わたしは動けなかったけど、動く必要もなかった。こんなわたしのところへ、父が来てくれている。それで十分だった。
そして、その大きな手のひらで涙と血にあふれたわたしの頬をやさしく撫でながら、こう言った。
「もう大丈夫だよ」
父の声が遠くなる。顔も、手も、すべて遠くなった。でも温かみだけは残った。これが欲しかった。ずっと、これだけが欲しかった。
もう怖がることはなくなった。もう苦しむことはなくなった。
全身に温かみが広がった。
わたしは笑った。満面の微笑みで、もう動かない口を動かして、心の底から言葉を発した。
だいすきだよ。
わたしたちにまだできることの一覧
多くはありませんが、以下を例にあげます。
- 訪れたウェブページやリソースをすべてバックアップすること
- より耐久的なストレージデバイス(HDD, Blu-rayなど)にデータを入れ、場所を分散して保管すること
- 重要な時事情報、ファクトチェックされた情報源の一次資料をなるべくプリントアウトすること
- 感じたことを文字に残し、残された文字を整理すること
- 生きて、見て、死ぬこと
Sommeとお散歩: 第一回 1889年、パリ
1889年6月のパリは曇りだった。 Sacré-Cœurの工事中の足場が、モンマルトルの丘の頂上に白く浮かんでいる。苔がむす石段の上から、パリが灰色に広がっているのが見える。遠く南の方、シャン・ド・マルスのあたりに、何かが立っていた。完成したばかりの鉄の塔。まだ街に馴染んでいない。
石段の下、家屋の裏から、人影がこちらへ向かってくるのが見えた。
「本当にきてくれたんだ、うれしいな」
あなたは頷く。わたしは満足げにあなたの手を引く。
「パリはどう?ここの風景は悪くないでしょう」
ちょっと答えづらい雰囲気になったので、態勢をとりなおすよう自信をだしてこういった。
「せっかくきたからには、私が案内してあげるよ」

丘を降り始めると、足元の石畳が濡れていた。昨夜雨が降ったらしい。モンマルトルの坂道は急で、両脇に六階建ての石造りのアパルトマンがちょっと歪んだ姿勢で立っている。ここはずいぶんすべりやすいから、注意しなきゃ。その途端、わたしは出っ張った丸石にスカートの裾を踏んで転びかけた。途端に過ぎ行く人だかりが冷やかな眼差しを投げる。一人の中年の女性がわざとらしく手を伸ばしたが、わたしはとっくに立ち上がっている。彼女はそれでも手を引っ込めず、助けてやったのだという顔をして、連れの婦人に何か囁きながら去っていった。
一階の丸いガラス窓から、パン屋の温かい匂いが漏れてくる。物売りの声、遠くで鳴るロバの蹄の音。焼きたての boule の山がガラスの棚から覗いている。あなたと自分のために一つずつ買って、バッグにしまう。
坂の途中で振り返ると、工事中の Basilique du Sacré-Cœur が山頂に浮かび上がった。未完成でも十分大きくて、威圧感があった。足場は丘の頂を覆い尽くすように組まれていて、白い石灰華のブロックが何十段と積み上がっている。完成すれば五つのドームを戴く大聖堂になるらしいけど、今はただの巨大な傷口にしか見えない。あと三十年待つ必要がありそうだね。
モンマルトル通りに入ると、通りが広くなって、道の状況もけっこうよくなってきた。辻馬車が石畳を揺れながら走り、御者が歩行者を怒鳴りつけている。これまたいつものことだ。彼らの馬夫はよくカーブで苦労するが、上流社会の人たちはどれほど緩やかでも坂道を歩くことなど考えられないらしい。傲慢なこと。どうせキャバレーにいって半裸の女たちのダンスでも鑑賞するのでしょう。Le Chat Noir がヴィクトール・マセ通りに移ってから、あの辺りには似たような店が次々に増えたけど、どれも Salis の毒舌には遠く及ばない。ダンスも、読み上げる詩も、影絵も、なにもかも面白くなくなった。そんなことをあなたに話す。

車がぶつかるすれすれの道端では新聞売りの少年がいた。道行く人をみるや否や、L’Exposition universelle! L’Exposition! と目を見開いて興奮状態で叫んでいる。万博の開幕からもう一ヶ月が経つのに、まだそれで売れるらしかった。とても面白かったので、少年の手から一枚もらって丸めてあなたに投げた。余った手で少年に硬貨を渡す。
しばらく歩くと、家並み、木、家並み、広場、家並みと続く向こうに空が広がってきた。屋根が少なくなる。橋だ。
ポン・ディエナに出る。セーヌ川が雲に透ける陽に鈍く光っていた。きらめく川面を鴎が数百羽、低く横切っていく。霧を切り縫いするそれらは、まるでセーヌが溜め込んだ百年分の手紙を一つのボロ雑巾にまとめてるみたい。あなたと欄干にもたれかかって、数分間ただゆっくり流れる河水を眺めた。
橋の上はひどく混んでいて、馬車と歩行者と両側に屋台の荷車が押し合っていた。霧が深くなるほど人と熱気が溢れ出る。外出服をきた初老の男性、日傘をいっぱいにさした女性の数人が、まだ屋台に占拠されてない欄干に寄っかかって川の流れを眺めている。わたしたちは欄干側を諦めて、橋の真ん中の人の流れに戻った。
誰かに肩をぶつけられた。振り向いたが、その人はもう人込みの中に消えていた。
「パリって、いつもこんな感じ」
川の向こうに、エッフェル塔がある。近づくにつれて、その大きさがじわじわと変わってくる。
橋の欄干にもたれた老人が、塔の方を見ながら独り言のように言った。襟が擦り切れた上着を着ていて、帽子もかぶっていない。
醜い。工場の煙突みたいだ。
「まあ、あと百年もすれば慣れるよ」
シャン・ド・マルスの入口が見えてきた。会場の鉄骨の骨組みが、曇り空の下に白く広がっている。人の波が、そこへ向かって流れていた。

入場料は四十サンチーム。わたしは財布から硬貨を二枚取り出し、あなたの分も払った。回転式の改札をくぐる。
目の前にエッフェル塔がそびえている。橋の上から見ていたより遥かに大きく、四本の巨大な脚が地面にめり込むようにして立っている。脚と脚を繋ぐアーチの曲線はおそろしく急で、見上げていると首が痛くなる。三百十二メートル。今この瞬間、地上で最も高い建造物。それなのに、パリの建築家たちの半分以上はこれを憎んでいる。Maupassant がここのレストランで昼食をとるのは、塔の中にいれば塔を見なくて済む唯一の場所だからなんて言ってたらしい。わたしは結構好きだけどな。
土台のアーチをくぐった先に、シャン・ド・マルスの広場が奥へ奥へと続いていた。左手に自由芸術宮、右手に美術宮、その先に機械宮の巨大な屋根。ガラスと鉄骨でできた半円のアーチが、空を塞ぐようにして横たわっていた。
人だかりが機械宮の入口に向かって流れている。あなたの袖を引いて、その流れに乗った。
中に入ると、熱気と音に包まれた。蒸気エンジンの低い唸りが足裏から伝わってくる。歯車が噛み合う金属音、ベルト駆動の風切り音、見学者のざわめき。天井は四十五メートル近くあって、光が鉄骨のあいだから斜めに差し込んでいた。柱が一本もない。壁から壁まで百メートル以上の空間を、鉄骨のアーチだけで支えている。その下に、Schneider-Creusot 製の蒸気ハンマー、巨大な紡績機、輪転印刷機がひしめいている。床が振動していて、建物そのものが巨大な機械みたいだった。遠くに恐ろしく広いエジソンの展示コーナーが見えている。人だかりができていて、順番待ちの列が蛇行していた。

「あそこで新式蓄音機の実演をしてるよ」
振り返ると、すぐ近くを背広を着た二人の男が歩きながら話していた。
「それよりも鉱業と冶金の展示を見なくては。あちらの方が重要だ!」
「疲れましたよ、閣下。もう十分見たじゃないですか。 」 若い方の男性が苦笑いしながら頭をかく。
「何を言っているんだ、展覧はまだ始まったばかりだぞ。」
わたしはその会話を聞き流しながら、あなたを蓄音機の列には並ばせずに早足で先へ進んだ。こうはいったが、正直興味が沸かないのでわざわざ並びたくない。
機械宮を抜けると、また広場に出た。今度はアンヴァリッド広場の方へ向かう。会場の西の端、セーヌ川沿いに植民地エリアがあった。建物の様式が変わってくる。石とタイルの装飾、馬蹄形のアーチ、ミナレット、朱塗りの欄干。さっきまでの鉄とガラスの世界が嘘みたいに、漆喰と土壁の建物が川沿いに並んでいた。どの館の前にも現地から連れてこられた人たちがいて、民族衣装を着て、織物をしたり、壺を焼いたり、決められた生活をして見せていた。
観光客がその前で立ち止まり、オペラグラスを向けている。 わたしたちは立ち止まらずに、その前を通り過ぎた。

少し奥に入ったところに、柵に囲まれたエリアがあった。
藁と泥でできた小屋が並んでいる。その前に人が立っていた。座っている人もいた。周囲の観光客が、柵の外から眺めている。子供連れの夫婦、紳士、婦人。パンフレットを手に持った男が、連れの女に何か説明していた。
小屋の群れのほぼ中央に、低い壁があった。四角く囲われた壁。高さは胸のあたりまでしかない。
傍らの立て看板に、こう書いてあった。
Mosquée.
モスク、と書いてある。
わたしはしばらくその壁を見ていた。幅二メートル半、長さ五メートル。角が丸く、低いテラコッタの壁。
話すのはやめた。それに、柵の外では観光客が楽しそうに写真を撮っている。セネガル人だろうか、白のバンダナをかぶった黒人が私と目があった。綺麗な黒の瞳。何かの光を反射して、きら、きらと輝いている。

出口の近くに、辛うじて空きが残っている長いベンチがあった。
「疲れちゃった。少し休まない?」
鞄の中からパンを一つ取り出して、あなたに渡す。まだほのかに暖かい。
会場の喧騒が、少し遠くなった気がした。機械の音、馬の蹄、どこかで演奏している金管楽器。曇り空がさらに暗くなっている。あなたと私はパンを頬張りながら、膨らんだ頬で今日の思い出について話す。
しばらくして、雨が降ってきた。やっぱりだ。
ベンチの上の庇がわずかに雨粒を防いでいたが、足元の石畳がみるみる濡れていく。観光客たちが傘を開いたり、建物の軒下に駆け込んだりしている。たて続けに婦人たちの甲高い笑い声と、男性の怒鳴り声が聞こえる。
私はベンチから立ち上がり、スカートの裾を少し持ち上げた。
「散々だったね」
あなたの方を見て、少し笑った。
「でも、楽しかった」
雨の中に踏み出す前に振り返った。
透き通った水だまりが、曇りの空を映してすこし暗い。
「つぎはどこいこうね」
旅行記事を書きたい
今日この日に成績が発表されたとかではないのですが、意欲が湧いてきたので書くことにします。
成績
こういった記事のお決まりとして、まずは自分の成績を開示しないといけませんね。とりあえず出します。受けたのは台湾のGSATです。
| 考科 | 頂標 | 前標 | 均標 | 私 |
|---|---|---|---|---|
| 国語 | 13 | 12 | 10 | 14/15 |
| 英語 | 13 | 11 | 8 | 15/15 |
| 数学A | 12 | 10 | 8 | 7/15 |
| 数学B | 11 | 9 | 5 | 13/15 |
| 社会 | 13 | 12 | 10 | 14/15 |
| 理科 | 13 | 12 | 9 | 14/15 |
台湾の大学入試の制度についてここで詳しく説明する気はありませんので、とりあえず一目でわかる部分について話しましょう。数学 A の成績が極端に低いことです。均標、つまり全国 50% 平均より低いです。しかも私理数科なんです(なんで入れたんだろ…本当にごめんなさい)。
これはなぜかというと、端的に言って、練習不足です。練習不足ほど空虚かつ便利な言葉はそうそうありません;大抵の学問は充足な練習すらあれば理論上は習得できるからです。しかし、一つだけ言いたいことがあって、(それがどれほど明らかな事実であっても)ある分野を習得するために必要な努力の量は、人によって驚くほど異なるということです。私はこれに失敗しました。自分に備わっている能力は常人と並んでいた思い込んでいたところが、数倍、数十倍の力量を投じる必要があったんです。
しかも努力を必要とするのは学習だけではなく、精神的な症状を積極的に治療したりと進歩の精神がいる事柄も含んでいました。残念ながら自己敗北的なクズ人間のわたしはその必要性を認識していなくて、また認識してもおそらく克服できなかった。自分の意志に背いて有意義なことをするのは得意ですが、自分の意志に背く意思に抗うことー内在するマゾヒズムに打ち勝つことはまったくといっていいほどできませんので。この結果はある意味避けられなかったとも言えます。
なにをしたのか
人間は結果よりも努力の過程の方に惹かれるのが自然で、しかも積極的に動くことは自己整合性をとりやすくさせます。ですから、入試の勉強は積極的に取り組む価値はあると思います。そもそも入試から逃げることは不可能なので、モチベーションを検討する余地があるだけ甘えというのはーその通りです。何甘えたこと言ってんのって感じですよね、ごめんなさい。
で、どう準備したのかというと:
- 平日は2~4時間ぐらいチャプター別の数学演習をやる
- 休日は理科の演習問題をひたすらやる
こんな感じで、二年の冬休みぐらいから続けました (夏休みは半分ダウンして動けませんでしたが)。結果論からいうとあまり成績の進歩に寄与しませんでした。これ以上は過去の否定になるのでやめておきますが、後期(100日以内)に入ってからははなにか有意義なことをしている感覚すらありませんでした。最後の四十日あたりはアドレナリンもあってか闘志はありましたが、それはといえば周りの子たちが一生懸命がんばっている様子に感化されたのでしょう。
理科二類という競争的かつ仲間があまりいない環境で、しかも数理科でプレッシャーに押しつぶされずに完走したのは本当に尊敬できることです。大学にいったら高嶺の花ムーブしようみたいなことを夕方の教室でヒスりあったのは楽しかったです。本当にみんないい子で、わたしには想像もできないぐらい優秀でした。道理ならわたしはその輪から排除されてしかるべきなのですが、みんなは私と一緒にいて楽しかったと言います。せめて真実であることを願うばかりです。
これから
書く意欲がなくなってきたので簡短に済ませます。順当にいけば法律学部など文系の学部に進学できるのですが、興味のない学部に進んでも人間性が危ういわたしはおそらく勉強もせずに虛度するか終身後悔するのが目に見えているので(大学院にいく貯金はなさそうなのもあって)、ダブルメジャーかマイナーを考えなければなりません。わたしの習性からして失敗しそうですけど。
ネガティブなことを見境もなく書いてきましたが、自分を卑下することは進学にもよくないと自分に言い聞かせています。この記事をもって、これから自己否定を文字にするのはもうやめようと思います。今回が最後です。供養の意味をもって、見てくださってありがとうございました。
なぜデータセンターは全裸労働を要求するのか
三日目の出勤です。わたしは午前四時に建設現場のゲートに到着します。生体認証端末の前に立ち、旧式のスマートフォンを取り出してスキャンします。他の労働者たちは素通りしていきます。彼らの頭部に埋め込まれたチップが自動的に認証を済ませるからです。端末が緑色に光り、ゲートが開きます。わたしは服のポケットにスマートフォンを戻し、中に入ります。
ゲートの向こうには、取り壊された東北の小さな村の跡地が広がっています。基礎だけが残った家屋、折れた電柱、誰かが植えたであろう柿の木が一本、立っています。その奥に、建設中のデータセンターの巨大な骨組みが見えます。白色のコンクリートと、銀色の足場が、航空障害灯の暗い赤色に浮かび上がりました。わたしの隣を、裸体の労働者が三人通り過ぎていきました。彼らの肌は朝の冷気に晒されていますが、誰も寒そうにはしていません。
地上プラットフォームに着くと、同僚の一人がわたしに声をかけます。
「今日は上層の配線作業だって。ラックの増設があるらしい」。彼は裸体で、腰に工具ベルトだけを巻いています。性器と手先には、黒の除菌ラバーが張り付いています。わたしは目を逸らしながら頷きます。スマートフォンに作業指示が届いていることを確認します。画面には「CR7 区画 C、サーバーラック増設支援」と表示されていました。「ブレインインターフェースが接続されていません。一部のナビゲーション機能は制限されます」
周囲では重機が動いており、遠くで杭打ち機の規則的な音が響いています。気温が上がってきて、わたしは灰色の作業着の襟をを少し緩めます。布地が肌に張り付き、すでに塩っぱい汗が滲んでいます。別の労働者が「昨日の PUE、また赤だったよ。冷却大丈夫なの?」と言いながら通り過ぎます。彼女の体温調節モジュールのインジケーターが点灯します。素っ裸の身体には汗の跡ひとつありません。
プラットフォームの端に、階段があります。上層へ続く階段です。わたしはそこへ向かって歩き始めます。
階段を上がります。金属製の階段で、一段ごとに靴音が響きます。踊り場ですれ違った労働者が、わたしの垂れた灰色の作業服を一瞬見ます。
彼女らは何も言わず、下へ降りていきます。階段の手すりは冷たくて、わたしは手を添えながら上がり続けます。二階層目に到着すると、視界が開けます。眼下に取り壊された村の全景が見えます。屋根のない家々、舗装が剥がれた一本だけの連絡道路。その向こうに、原発の冷却塔が見えます。わたしは顔を上げ、さらに階段を上がります。綿の裏地が汗を吸い、重さを増していきます。
三階層目の休憩所で、わたしは立ち止まります。自動販売機があり、全裸の労働者が二人、飲み物を買っています。機械のディスプレイには「生体認証完了。お疲れ様です」と表示されています。
わたしはスマートフォンを取り出し、QR コードをスキャンします。冷たい水のボトルが出てきます。一人の労働者が「」と言います。わたしはブレインインターフェースがないので、ミリ波通信ができません。もう一人が怪訝な目でわたしを見ます。なにか言いたげに見えましたが、完全換装者は顎の神経が取り除かれていることを知っているので、わたしからは話しかけませんでした。
わたしは水を飲み、ボトルを腰のポケットに入れます。休憩所の壁に、ポスターが貼られています。
「透明な職場は、あんしんな職場・厚生労働署」
最上階に到着すると、もう息も続かない疲れでした。汗が垂れた前髪から目に染み込みました。邪魔にならないように、ガードレール側に寄せながら少し休みました。
三つ曲がった通路の奥に、白い扉がありました。稀有品のIPSパネルらしく、確かに「CR7 区画 C」と表示されています。スマートフォンが振動し、アクセス許可の通知が届きます。わたしは中に入ります。
内部は白い壁と床で、天井には無数のセンサーが取り付けられています。サーバーラックが整然と並び、青と緑の LED が点滅しています。かすかな唸り音が聞こえます。配線資材の入った箱を持ち、指定されたラックへ向かいます。床は冷たく、靴底を通して冷気が伝わってきます。ラックの前に立ち、わたしは箱を下ろします。
わたしはラックの側面に手を触れます。筐体は冷たく、かすかに振動しています。その瞬間、天井のセンサーが赤く点滅しました。音声が流れます。女性の声で、抑揚がありません。
「規定外の私有装備規格を検出しました。労働安全衛生法第五十八条の二に基づき、当該者はただちに正規装具に換装するように」
わたしの周りにいた三人の労働者が作業を止め、わたしを見ます。彼らの表情には驚きがありません。ドアがロックされる音がしました。別の音声が続きます。「その場で脱衣してください。衣類は後ほど返却されます」。
わたしは立ち尽くしています。手が震えています。冷気のせいではありません。天井の IR カメラが、わたしを見下ろしています。
わたしは作業着のボタンに手をかけます。指先がうまく動きません。上から一つずつ、ボタンを外していきます。周囲の労働者たちは、すでに作業を再開しています。配線作業の音、キーボードを叩く音。誰もわたしを見ていません。泣きそうになりながら上着を脱ぎ、床に置きます。シャツを脱ぎます。ブラを脱ぎます。ズボンを脱ぎます。白い床の上に、わたしの服が小さな山を作っています。冷気が震える肌に触れます。
手で身体を隠したままうつむいていると、周回ロボットが脱いだ服を汚染物コンテナへと運びました。
音声が流れました。「危険物携帯の可能性なし。作業を継続してください」
わたしは配線資材の箱から除菌ラバーを取り出し、ラックの前にうやうやしく頭を下げて、PDU からフロア下に伸びた電源線を接続していきます。
横で作業している労働者が「トークンクォータ、今月もう半分使っちゃったんだ」と言います。「もう生きていけないよ」
わたしは返事をしません。壁の外に朝日が昇っていますが、わたしがそれを見ることはありません。
Wikiversity に掲載されている 中國食人史 を英語へ翻訳しています。当該記事は鄭麒來 (Key Ray Chong) 氏の研究に基づき、530 則の記録における 388 の食人事件をまとめたものです。なお件数については、二十五史のみを対象とした集計では異なる数字が示されることもありますが、本シリーズでは Wikiversity 版の記述に準拠します。
元記事は原文の記載がほとんどを占めており、また中国人・中国に一定の理解がある者による閲覧のみを想定しているからか、文化的な前提知識に関する描写が決定的に不足しています。本シリーズは、新しく翻訳に参加する方・中国の歴史に初めて触れる方へ向けて、簡単な背景知識と翻訳の手順についてゆっくり補足していきます。
中国史の時代スケール
中国食人史の記録は夏・商・周にまで遡ります。ただし夏商周の「記録」の多くは後世に編まれた文献に基づいており、史実と神話・伝説の境界が曖昧です。体系的な記録として扱える最初期は春秋戦国期(前770–前221年)です。以降の各時代については下表を参照してください。
| 王朝・時代 | 期間 | 使用した文献 |
|---|---|---|
| 春秋戦国 | 前770–前221年 | 管子・墨子・呂氏春秋・左傳・史記・資治通鑑 ※1 |
| 前漢 | 前206–8年 | 漢書 |
| 後漢 | 25–220年 | 後漢書 |
| 三国 | 220–280年 | 三国志 |
| 晋(西晋・東晋) | 265–420年 | 晋書 |
| 南北朝 | 420–589年 | 宋書・南斉書・梁書・陳書・魏書・北斉書・周書・南史・北史 ※2 |
| 隋 | 581–618年 | 隋書 |
| 唐 | 618–907年 | 旧唐書・新唐書 |
| 五代十国 | 907–960年 | 旧五代史・新五代史 ※3 |
| 宋(北宋・南宋) | 960–1279年 | 宋史 |
| 元 | 1271–1368年 | 元史 |
| 明 | 1368–1644年 | 明史 |
| 清 | 1644–1912年 | 清史稿 |
※1 春秋戦国の文献は史記以外正史ではありません。管子・墨子・呂氏春秋は諸子百家の著作、左傳は春秋の注釈書、資治通鑑は北宋の司馬光による編年体通史(史書のまとめ)です。史記は前漢(西漢)の司馬遷による通史ですが、春秋戰國時期は史書を編纂する慣習がなかったので、実質的な正史としてみなされています。
正史の編纂体制が整う以前の時代であるため、食人記録は断片的かつ文脈依存的で、当時の慣習や思想を伝える寓話・逸話として記されているものも含まれます。史記は春秋戦国から前漢初期にかけての出来事も収録しており、表上の「漢書」と時代が一部重複します。
※2 魏晉南北朝(420–589年)は、中国が南朝(宋・斉・梁・陳)と北朝(北魏・東魏・西魏・北斉・北周)に分裂して並立していた時代です。統一王朝が存在しないため、正史も南北それぞれの王朝に対応して複数存在し、同時期の出来事が異なる史書に別々の視点から記録されています。なお南朝の「宋」は後代の宋王朝(960年–)とは別の政権です。
※3 五代十国(907–960年)は唐の滅亡後、華北に五つの王朝が短期間に交代し、周辺に十の割拠政権が並立した分裂期です。旧五代史は北宋初期に官撰されましたが長らく散逸し、現行本は清代に輯佚されたものであるため、史料としての完全性は他の正史と比べて低い部分があります。新五代史は北宋の欧陽脩による私撰で、二十四史中唯一の個人著作です。
記録の密度は時代によってかなり異なります。特に唐末・明末は飢饉と戦乱が激しく、食人記録が集中しています。
正史とはなにか
中国の歴史書は大別して「正史」と「野史」に分けられます。
正史は、後世の王朝が前代の歴史を国家プロジェクトとして編纂した公式の歴史書です。漢代の司馬遷が『史記』を著して以来、王朝が交代するたびにこの慣行が続きました。二十四史(後に清史稿を加えて二十五史)は、その史記から始まる歴代の正史を一つにまとめたものです。
正史には、国家の正統性を裏付けるという公文書としての側面があります。天災・飢饉・社会の乱れを記録することは、前代の統治の失敗を示す根拠であり、新王朝の正当性を強化するための材料でもありました。こうしたことから、正史においての食人の記録はしばし極めて客観的な角度で簡潔に触れるだけにとどまります。
「人相食」という定型句
正史に「人相食」と記されるとき、それは個別の食人事件の詳述ではなく、飢饉や戦乱の深刻さを示す定型句と考えてください。たとえば「大旱、人相食」という記載は、「深刻な旱魃が起き、人々が極限状態に追い込まれた」という状況を端的に示すための表現です。食人史全体に渡りよく出現するフレーズなので、見かけたら「あ、人相食してる。飢饉か戦争が激しくなったんだな」のように考えてください。
この種の定型句が体系的に残るようになったのは前漢からです。春秋戦国期にも食人の記録は『左伝』などに散見されますが、それらはあくまで個別の事件の描写であり、飢饉の深刻さを示す指標として定型的に使われるようになるのは正史の体裁が整った漢代以降のことでした。
その背景には、前漢初期の黄老思想に基づく統治(いわゆる黄老之治)の影響が挙げられます。秦のきびしい治め方への反省から、漢の初代皇帝たちは民の生活を安定させることを統治の根幹に置き、天災や飢饉を「政を為す者の徳の欠如」として真剣に受け止める政治文化が形成されました。こうした民政重視の姿勢が、天変地異や飢饉の記録を正史に組み込む動機となり、「人相食」という表現が飢饉の深刻さを示す公式の指標として機能するようになったのです。
正史と野史の境界
鄭麒來の研究は二十五史を主な材料としていますが、Wikiversity 版の中國食人史が実際に収録している資料はそれだけではありません。資治通鑑(北宋・司馬光)などはその代表例で、これは正史ではなく私撰の編年体通史ですが、記事内に多数引用されています。
なにが信頼足る材料かの判断基準は確かに曖昧です。唯一確実な点は、正史の記録と私撰史書の記録の間では、史料としての性格が異なるということです。前者は国家の検証を経た公式記録であり、後者は個人の見聞・伝聞を含む場合があります。項目を読む際は Source 欄で引用元を確認し、どの種類の史料に基づいているかを把握しておくと、記述の信頼性がわかりやすくなります。
※野史について:正史と区別するように「野史」という言葉があり、基本的に民間人や下野した知識人が個人的に記した歴史記録のことです(私撰史書を含むが限らず、一部小説もこれにあてはまります)。正史に載りにくい内容(朝廷を批判する記述や民衆の生活の細部)が残っているのが特徴で、正史を補完する資料として重要な役割を担っています。
食人の動機別分類
鄭麒來が研究において最も重視したのが、食人動機の分類です。氏はこれを大きく「求生性食人」と「習得性食人」の二つに分けています。
求生性食人は、飢饉、籠城、戦乱などの極限状態において、生存のためにやむを得ず行われる食人行動です。正史に記録された食人の圧倒的多数はこちらに属します。これは世界の他の文化圏でも見られる普遍的な現象であって、中国特有のものではありません。
習得性食人は、生存の必要性とは独立した動機、例えば忠・孝・復讐・薬用・味覚的嗜好などによって行われる食人行動です。中国の場合、宗教的動機がほとんど見られないのが世界的に見ても特徴的で、代わりに現れるのが、儒教的な倫理観や薬食同源の思想と結びついた動機です。割肉療親(親の病を癒やすために自らの肉を切り取る)はその典型であり、唐代以来孝行の実践として記録されてきました。
ただし、この二分類は排他的ではありません。たとえば張巡が安史の乱の睢陽籠城戦で妾を殺して将兵に食わせた事件は、籠城という極限状態(求生性)と忠義の論理(習得性)が重なり合っており、どちらか一方に帰属させることが難しい事例です。記事を読む際は、この分類を二項対立としてではなく、動機の重心がどこにあるかを考えるための測準として使ってください。
項目の読み方
英語版の中國食人史では、各歴史書における個別の事件や記述を一つの独立した「項目(Entry)」として構造化しています。項目は以下の要素で構成されています。
- タイトル: 事件の発生時期、概要
- 英訳 / 原文: 文言文の原文および現代英語への翻訳
- 引用元: その記述がどの歴史書のどの巻に基づいているか
文章ではわかりにくいので、具体例を示します。
194 CE: Famine During the Puyang Campaign, Sanguozhi
English: That year, one hu of grain fetched over fifty thousand coins; people ate each other. Newly recruited troops were thereupon disbanded.
Original: 是岁谷一斛五十余万钱,人相食,乃罢吏兵新募者。
Source: Sanguozhi, "Annals of Emperor Wu, Vol. 1" (《三國志·卷一·魏書一·武帝紀》)タイトルは [年]: [名称(事件の原因・記述の主体)], [引用元の書名] のフォーマットに従っています。いくつかの例外について:
c. [年]-[年]: この期間内に起きた出来事。通常、年代の推定が難しい古い記録に出現します。During reign of…: 特定の人物の執政中に起きた出来事。具体的な年代が特定できない場合のみ使用されます。- 年代の記述なし: 稀に年が指定されていないことがあります。引用元からさらに引用された寓話など、二次引用かつ出所不明のものが多いです。
- 例:
Critique of "Yi Di", by Moziは墨子(書名)にて引用された、南に住む野人の食人風習の寓話について説明しています。
- 例:
Source 欄の英語表記は 中國哲學書電子化計劃 に準拠しています。Volume は中国語の 卷 に該当します。
同じ事件に関する記載が複数ある場合は、インデントで階層を示します。
194 CE: Famine During the Puyang Campaign, Sanguozhi
English: That year, one hu of grain fetched over fifty thousand coins; people ate each other. Newly recruited troops were thereupon disbanded.
Original: 是岁谷一斛五十余万钱,人相食,乃罢吏兵新募者。
Source: Sanguozhi, "Annals of Emperor Wu, Vol. 1" (《三國志·卷一·魏書一·武帝紀》)
194 CE: Famine During the Puyang Campaign, Sanguozhi(2)
English: Cao Cao led his forces back ...
Original: 太祖引军还...
Source: Sanguozhi, "Biography of Lü Bu, Vol. ...
194 CE: Famine During the Puyang Campaign, Hou Han Shu
...すべての記録が同じフォーマットで統一されているため、特定の時代・動機による事件を比較・分析する際の足がかりとして機能します。
ひとこと
食人の記録を閲覧することは心理的な負荷となりえます。鄭氏に限らず、これら研究が目指したのはー食人という行為、およびそれを許してきた歴史的文脈を道徳的に断罪することでも、センセーショナルに描くことでもなく、史料に基づいて中国における食人現象を類型化・分析することだけです。この姿勢を念頭において元記事を閲覧してください。必要な距離感を保つ上の助けになると思います。
誰でも殺人者になりうる
Jeder kann zum Mörder werden (Nahlah Saimeh, 2012)を読み終えた。肝要な部分は別にブックレビューを書く予定なのでとりあえず感想を述べると、Saimeh氏は文章が本当に上手だ。犯罪の現場と犯人の心理を、あたかも自分の目を通したように鮮明に書き出す。氏は制度の意義と限界を率直に論じる。感情の輪郭や、当人の感じた苦悩などが克明に描写されていて、診断の後冷静に結論を下す氏の姿が、法精神医学者として何百もの事例を見てきた者の覚悟をよく表している。
重度犯罪者を「理解不能」として切り捨てることは論理的に一貫しない。治療と人権の保障は甘さではなく、民主国家において人間の条件に対する誠実な応答である。そう静かに、厳粛に話す作者の姿がみえるようだった。
17歳最後の日
深夜の十一時頃にいろいろ書き始めたところ、気づいたら時計が十二時を回っていた。通知を見たら、親しい子たちから一斉に誕生日メッセージを受け取っていた。こんな人間でも誕生日を覚えてもらえるんだ、嬉しすぎて泣きそうです。17 歳最後の日はいい日でした。ありがとう。
バトルロワイヤル型SNS
大学入試前にXをアカウントごと消した。理由は簡単で、イーロン氏とそれを取りまく冷笑を生業とする人間の巣窟となっていたと感じたからだが、今日興味本位で入れ直したところ最悪すぎて笑っちゃった。本性(オタク構文)表したね。激鬱すぎて今これ✨💖🩹🩹立てない障害者ガチでメロくて横転😊死ねよ。
確実に言えるのは、Xは精神によからぬ作用をきたす。種族差別、階級差別、貧困、精神疾患、すべての存在可能なステレオタイプと無差別な人身攻撃。前頭葉がバチバチする。滴ったよだれで口元が腐れそうで、危うく開きかけた口と絶え間なく画面に流れるレイシストジョークにこみ上げる笑いを抑える。これも Grok 4.20 が書いたというのだからな。まさに人外魔境さ。殺し合いのゲームだ。スカイネットも遠くない。
七。見よ、君は孵化している。君は孵化している!
書いていると虚しくなったので寝る。
あとこれは糾弾なのだが、Xのアルゴリズムがあきらかに個人情報を侵害している。フォローとふぁぼなしの状態で三十分スクロールしていただけで、前フォローしてた成人男性ケモいじめ絵師がTLに現れて思考が止まった。当然一瞬でふぁぼした。わたしは性的嗜好をイーロンに握られている人間です。エプスタインファイルを開示してください。
このウェブサイトについて
謝辞
すばらしい Astro のテーマを製作した 3ASH 氏、高品質な書体を提供してくださった Google Fonts 様、ならびに Inter、Besley、Zen 角ゴシック New の製作者たちに敬意と感謝を捧げます。
著者について
こんにちは。私のことは Somme と呼んでください。
古い小道をスケッチしたり、日の当たる廃墟で本を読んだり、街の季節の移ろいを眺めたりしています。
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Somme’s Corner
2026年 1月19日 初版
2026年 2月09日 第1刷発行
著・訳・ロゴ・表紙デザイン Somme
裝幀・製本 *Chiri
発行者 Somme
発行所 CloudFlare Pages
特に記載のない限り、
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短編集 (2024)
わたしが2024年ころに書いた短篇たちです。
海
「海だ!」
わたしは精一杯叫んだ。疲れ切った体をなんとか研究棟の出口に運んだのが嘘のように思えた。
目に入ったのは、灯火のきらめく夜の海だった。それはまぎれもなく海であった。激しく起伏する波、吹き荒ぶ風に揺れる雨の束は、どの写真の海よりも写実的だった。
足元に波が届いた。波は風につられて階段に打ちつき、また消えていった。わたしは地学のテキストを思い出す。
「どのような力でも、海面に波を起こすことができる。そのうち、風によるものは特に「風浪」とよばれており…」
海だな、とわたしは不思議にそう確信した。この世界は海に帰ったんだ。
わたしは目を細める。遠いところに他の建物が見えたーしかし、それはあまりにも遠かった。まるで海の向こう側にあるように、窓から漏れだす光が点になっていた。わたしはその点がぼやけていることに気づいた。これは目に入った雨のせいなのか、涙のせいなのはわからなかった。それはあまりにも美しく、また無限に悲しかった。深い海に沈み込むとき、最後に見る日の光のように。
人影が海面に漂っていた。まるで行き場をなくした海鳥のようで、海流にただ運ばれた回遊魚のようでもある。それらは水面の起伏にただしたがっている存在だった。シルエットが上下する波に運ばれてゆく。瞬くうちに、それらは現れ、また消えていく。
そこにはなにか意味たるものはあるのだろうか?生命は一過性だが、影は被写物が存在する限り永遠だ。波に浮かぶ影は、もしかしたら宿主の自分よりも真かもしれない。無意味こそ最大の意味を潜在していると思いつく。ちょうど、嵐の海のように。
冷たいしずくが顔にあたり、わたしははっと意識を取り戻す。家に帰らないといけない。しかしわたしは、この海を泳いでいこうとは思えなかった。ただただこの大洋の一員となりたかった。沈むことはどれほど美しいのだろうーわたしは手足があることを憎んだ。水より軽い自分の体を憎んだ。動物たちが陸に上がって何億年、わたしたちは帰る場所さえも失ったのだ。
靴は水に浸かっていた。しかしわたしには、潮が悲しげに引いていくのがわかる。何億年の間、彼女はわたしたちの名を呼び続けていた。しかしわたしたちは自らの美しいヒレを食いちぎり、もう二度と母の美しい体のなかで自由に動くことはない。
わたしは海に行かないでと呼びかけたかった。しかし海には耳がなかった。
永生花
イスタンブールの旅館の正面で、小さな赤い花を植えたとある花瓶をみた。古風な中国製の物だ。いわゆる青花瓷だろうか?そう思っていると、下の小さな説明用の木製のカードに気がついた。拾い上げると、こんなことが書いてある。
「この花は、勞山で採られた永生花である。永生花は非常に長寿な花で、伝説によれば世界が終わった後も生き続ける」
なるほど、と私は妙に納得した。通りで花瓶も花も古臭く見えたものだ。
私は手を伸ばし、その冷たい陶器の表面に触れた。ひんやりとした感触はあったものの、同時に微かな振動が指先に伝わってくる。
その瞬間、赤い花が一枚の花びらをそっと落とした。その花びらは宙をゆっくりと漂い、最終的には私の足元に静かに着地した。私はかがんでそれをつまみ上げた。驚いたことに、その花びらはまるで薄い金属のように硬く、しかし恐ろしいほど軽かった。微細な東洋の文字が刻まれているように見える。だが、あまりにも小さすぎて、私の目では読み取ることができない。
目を凝らして花びらを見ていると、縁が微妙に広がり、その内側からかすかな囁きが聞こえてきた。言語的な発声というよりも、風が枝を揺らす音、あるいは遠のく川のせせらぎのような、無意味ながらも意味を帯びた響きだった。
私はもう一度、花瓶全体を見上げた。今度は、その青い模様の中に、これまで気づかなかった奇妙な形が浮かび上がっているのに気づいた。それは人間の顔のようでもあり、動物のようでもあり、同時にどちらでもない。形容しがたい何かの輪郭。そしてその形は、私が目を凝らすほどに、私を見つめているかのように鮮明になっていった。
私は花瓶から目を離せなくなった。それは単なる置物ではなく、生きている何か、あるいは生き続けている何かだと確信したのだ。花瓶はその奇妙な紋様を変え続け、ついにはある名状しがたい顔が浮かんだ。
花瓶の表面に浮かび上がった顔は、私が見つめるほどに歪み、水面に映る光学的な像が水波で崩れるように、その形を不定に変え始めた。目があった瞬間、それは歪な口を開き、私自身の声で私の名前を呼んだ。そして、また形を変え、こういった。
「お前は誰だ?」
その問いは私の頭の中で響き渡った。しかしその声は私の知っている私の声よりも遥かに古く、疲れていた。花瓶の模様はさらに理解不能になり、無限に続く迷宮のように絡み合い、変化し、無数の記憶の影を赤砂岩でできたタイルに落とした。
私は花瓶に引き寄せられるように、一歩、また一歩と近づいた。青花瓷の表面は、今や冷たくはなく、熱を帯びているように感じられた。花に触れようと手を伸ばしたその瞬間、永生花の口から無数の赤い花びらが噴水のように噴き出した。それらは宙を舞い、私の周りを旋回し、ノウスフィアの薄いベールを突き破り、クオリアの隙間から入り込んできた。 埋もれゆく花びらを振り払おうとしたが、それらはまるで私の一部であるように私を通り抜け、またたく間に私のすべてを吞み込んだ。
気がつくと、私はまだ花の前に立っていた。しかし私が立っていたのはもはやイスタンブールの旅館の正面ではなかった。空は深い貝紫色に染まり、遠くにはいくつもの巨大な花びらが太古の巨人のようにそびえ立っていた。さらに向こうには、私のものである巨大な眼が赤色の霧に滲んでいた。そして、私の足元には、私が手にしているのと同じ一枚の赤い花びらが横たわっていた。
花びらの表面には、私の人生の全ての記憶、私が経験したこと、私が夢見たこと、全てが極めて微細な文字として刻まれていた。私はその花びらの上に立ち尽くし、自分が、あるいは自分が世界と呼んでいたものの実存は、いつの間にこの花と完全に同一になったことを、もはや無意味となった思考を通じて理解した。
ああ、とわたしは、思わずつぶやいた。
永生花とは、私自身のことだったのだ。
リアプノフのコンチェルト
リャプノフのコンチェルト、と私は心の中で繰り返した。それは、つい数分前まで私が座っていた旅客機の機内オーディオで流れていた曲のタイトルだった。だが、今、私は旅客機の中にはいない。
私は空中にいた。文字通り、何も存在しない、底なしの真っ黒い虚空の中に。
数分前まで搭乗していた機体は跡形もなく消え去った。何の前兆も、警告もなく、ただ突然に。革座席の背もたれの感触も、隣の乗客のわずかな体温も、油圧システムのほのかな作動音も、すべてが一瞬のうちに消え失せた。まるで世界が私以外のすべてを、実存そのものから切り離したかのように。
初めは、今の状況が信じられなかった。これは夢か、それとも一種の幻覚か。しかし、頬を撫でる冷たい気圧の流れと、肺が空気を求めて不合理なほどに収縮する感覚が、それが紛れもない現実であることを突きつけた。私は落下しているのだろうか?だが、落下しているという感覚はない。私はただ、その場に“存在”している。上下も、左右も、空間に意味などなかった。凍え張りつめられた五感だけがトポロジーを支えていた。
凍えるような寒さから逃れるため、意識を無理やり集中させると、奇妙なことに、微かな音楽が聞こえてきた。リャプノフのコンチェルト、静かなピアノの一節。どうやら耳元のすぐそばで奏でられているらしい。しかし、音源はどこにも見当たらない。それは私の認知の内側から響いているのか、それともこの広大な空そのものが奏でる、私だけに聞こえる不協和音なのか。それ自体には何の意味もないように思えたので、私は別のことに注意を向けようと考えた。
しばらくたって、私は自身が空中でゆっくりと回転していることに気づいた。しかし、それは私の自由意志によるものではない。見えない巨大な手が私を操っているらしい。何とか振り切ろうとしていると、視界の端に、かつて数分前に機体があったであろう場所に、微かな、しかし確かに輝く光の点が現れた。まるで遠い星のようであったが、私に近づいてきているのは確実だった。光の点は次第に大きくなり、その輪郭がはっきりとしてくる。それは飛行機の窓だった。私の座っていた真横の、あの窓。
窓は、空中に宙づりになっていた。まるでそこだけが切り取られた空間であるかのように。中には見慣れた機内の光景が広がっていた。座席、通路、頭上の荷物入れ。そして、私の隣に座っていた乗客が、何事もなかったかのように、小綺麗なタブレットで電子書籍を読んでいる。私はその窓に向かって手を伸ばした。触れることができる、そう確信した。
しかし、私の手は窓をすり抜けた。すり抜けたというより、私の手と窓はまるでお互いを映す鏡のように、干渉もせず、姿形も変化せず、そのまま窓の向こうの虚無を手のひら一杯につかんだ。窓の中の乗客は、相変わらず無表情でタブレット上のテキストを、知識人という概念を象徴するような表情で読んでいる。彼は、私がそこにいることに気づいていないーあるいは、彼にとって私は最初から存在していなかったのかもしれない。そしてそれは彼にとっても、私にとっても、もはや重要なことではないのだろう。
リャプノフのコンチェルトの旋律が、より一層鮮明になった。今度は、オーケストラの壮大な響きも加わり、まるで私を取り巻く空気が、その音色に合わせて振動しているかのようだった。私は再び窓に触れようと試みたが、やはり手は空を切った。回転がゆっくりと止まり始めた。激しい旋律はやがて沈静化し、再び静かなピアノのソロパートに戻った。
窓の向こうの光景が、ゆっくりと遠ざかっていく。そして、私の意識もまた、その光景と共に遠のいていくような感覚に襲われた。私は自分が、この無限の空のどこかに、リャプノフのコンチェルトの最後の音が消えるまで、ただ浮遊し続けることを何となく理解した。空中で無為に手足をじたばたさせた私の姿は、まさに情熱的な指揮者そのものであっただろう。地上の観客のためにアンコールをしようとも考えたが、指揮棒が必要だということに気が付き、代わりに使えるものはないかと周りを見回した。
すると、先ほどは姿が見えなかった巨大な手がついに正体を現し、わたしを親指、中指と人差し指ではさみ、旋律に合わせて軽快に振り回しているのがわかった。私は恐怖と奇妙な高揚感に襲われたが、その一瞬の感情もまた、再び盛り上がったリャプノフのコンチェルトにかき消されたのであった。